インタビュー

WoodInterview
(3)地域の風景になる存在
WoodInterview

インタビュー

(3)地域の風景になる存在

(3)地域の風景になる存在

施設名:北沢建築木材加工場(長野県上伊那郡箕輪町)
話し手:北沢建築 北澤宗則氏 / 建築家 三澤文子氏
設 計:Ms建築設計事務所 三澤文子x北沢建築設計部 ・ 東京大学准教授 稲山正弘 +東京大学稲山研究室
施 工:株式会社北沢建築

(3)地域の風景になる存在

最終回である第3回では三澤文子さんの設計で大事にされていることや、北沢建築さんの地域に根差すということについて伺ってきました。
三澤さんはどこでだれが育てた木か、どこから運ばれてくるかを含めたウッドマイレージという考えで地域性の高い木造建築に取り組まれてきました。木造の施設の設計についての現状と今後の地域材を使った木造施設への期待についてお話いただいています。また北沢建築さんはたくさんの地域住民の方々の目に触れられるようになった木造の加工場をきっかけとして地域での公務店のありようについて言及されています。

ブラックボックスをなくす

―設計の上で社会に対してどうアプローチするか、大事にされている事はなんですか?


三澤:
すべて正直に説明できるということでしょうかね。
木材の調達のところでは、材料がどこからもってきたか、誰が作ったかということをわかりたいわけですよね、全て。そうしたらすべて説明できるでしょう。
建築の分野では材料の調達についてはわかっていないことが多かった、今もそうかもしれない。
ブラックボックスという話が出ましたが、住まい手さんがどうなっているか聞いたときにどうなってるかわからないってことがすごく多いと思うんですよ。
ブラックボックスをなくしてクリアにするという思いがあります。形にする以前の話ですよね。
正直に、提供する人に全て語れるようにしたい。性能もそうかもしれません。
例えば製作の木製建具についてすきま風が入ります、ただこういう理由でこう使っているということが全て説明できるように自分がなりたいわけなんです。
35年ぐらい木造の設計をやっているけれども、まだまだすべてできないというところが木造の深さだなと思います。
建築の中の木造という部分に縁あって取り組んでいるわけなんだけれども飽きない、他のことをやろうと思わないんですよ。お金の事でもそうですが正直に提供できるということ。北澤さんの加工場は施工とクライアントが一緒だったから見積もりがなかったんで幸せでしたけれども、つまり1番クリアに施工のことを分かっているわけだから、しやすいですけれどもね。
一般の場合は、お金の部分もしっかりとクリアにお施主さんにわかってもらうようにするっていうことも設計で大切にしています。正直にすることによっていろんな誤解を解いていってほしいなぁと思います。木造については高い、強風に弱い、地震に弱いというネガティブな部分を打開したいと思うんです。30何年位前に木造に取り組んだ頃は、木造は全然相手にされていなかったですよ。
法律もみんなだめでした。だんだん緩和されて木造で施設がつくれるようになってきたんですよ。
本当にそういうことの積み重ねなんじゃないかなと思っているんです。
阪神大震災の後に木造の研究者が入り込んで研究して格段にこの20年で木造は進化したんです。
ひとつは多くの人が入りこんだことと、地域で地道にやってきた木造はお金はどんぶりじゃないんだ、性能もちゃんとできるんだということ。
地域の工務店さんはその積み重ねがちゃんとできているし今後花開くんじゃないかということを考えています。
そういう木造への思いは設計して建物ができて嬉しいという次元とは別の話で、自分の生きている間で前と後とで少し良い方向に変わっていくっていう事のお手伝いが出来るといいなと思っています。
自分の存在を残すみたいなことよね。それは1番光栄で嬉しいじゃないですか。

昔は大工さんが小学校とか普通に作ってたものね。昔と今とは違うといってもつくる技術があって、さらに木造の進化があって、それに大工さんもついていっているわけですよ。
現実に一般の方々が理解していただいて小さな施設、小学校や公民館は大工さんが作るっていうのは当たり前になるんじゃないかなーと思うんです。30年後には、いやいやもっと早いですかね(笑)

手で「きざむ」

―手刻みは高いというイメージがあります。
一方でプレカットはプレカット工場次第でノウハウや図面がプレカット工場に蓄積するということがあります。
手刻みがどれぐらいコストがかかるのか、現場がどういう感じなのかイメージがつかないというところもあります。手刻みで、性能も高いものをつくられているという数少ない工務店さんです。
仕事の流れや手刻みについて教えてください。
 

北澤:
小型の加工機はあるんですけれども、必ず大工さんの技術といいますか、追っかけ大栓など大工さんの腕を意図的に見せるようにしています。
簡単なものは外注のプレカットに出すことはありますけれど、自社設計のものは基本的には外に出す事はありません。
材料を選ぶところからうちの職人さんが作るということに共感して家をご依頼いただく方が多いので、担当がついて初めからここでやります。

アリ落としやホゾの仕口加工機はありますので、その加工機を使うことはあります。
手刻みとプレカットの大きな違いは墨付けにあると思っています。
1本3mの材料が来て、部材として2m50cmをとるときに、どこに合わせてどこで取りますかということが1番大事だと思うんです。
つまり大工が木を見て、向きを見て位置だしをするかどうかということがプレカットとの最大の違いだと思います。
材料をどこでとるかを判断するのは大事な作業だと思いますよね。その作業がオートメーションのプレカットだと小口から必ず10cmのところで切ってレーザーで追いかけるので、必ず行く場所が決まってしまう。節があろうと割れがあろうと残されたところが綺麗であろうと機械に入れた方向と向きで全て決まってしまいます。
だから集成材だと問題ないんだけれども無垢材だとプレカットは「あて」[1]がつくということがある。

この木を読む作業を手刻みと称して大工が墨付けからやるか否かというのがプレカットとの違いです。確かに手刻みは加工に手間がかかるので高くなるという要素はあります。
単純作業はある程度機械に任せますし、一方で肝心要に構造的にどうしても譲れない部分は鎌継ぎにするよりは追っかけにするか台持ち[2]にした方が良い部分の見定めをするといった、材を長尺にしたいときは大工さんの技術を使うというように切り分けています。
例えば柱がちの建物で、大工の手加工をたくさん使うが、組み上げたときにあまり継手が見えなくて綺麗に納まる、よく引っ張れるといった利点もいくつもあります。
つまり、構造的な強さ、納まりを総合的に鑑みて機械に任せるものと大工さんの手加工で納める部分とを判断して振り分けています。
大工が木材のどの部分をとって使うかということを設計も含めて判断するということが大切だと思います。


 三澤:
(手刻みとプレカットは)職人の目線で手元にある道具を駆使して材料を選んで加工しているかどうか、工場の外に出す(外注)かどうかで定義づけていいと思います。
プレカットと一言で言っても、坪3万円の場合と坪7千円の場合とあるわけですよね。
それをひとまとめにして「プレカット」とひとまとめにくくることがおかしいんです。
「プレカット」を手抜きとか安物とか機械まかせとかネガティブなイメージとして捉える方が多いと思いますが、私は全くそのようには思っていません。

北澤:
コストと精度もあるので手か機械か見極めているだけ。自社が大工を売りにしていますがプレカットを否定しているわけではないんです。
大工が得意としているところを見極めることと、望んでいるものの違いではあります。
プレカットという技術ができたから在来工法がこれだけ廃れずに残ってどの地域でもできるようになっていると僕は考えています。伝統的な大工技術を尊重はしていますが、ただ機械化するのが難しかったものに対して職人が手で加工できるかどうかだけの話だと思うんですよね。
そうでなかったら金物工法、ツーバイ構法[3]で終わっていたと思うんですよね。

社員大工さんの平均年齢は30代

社員大工さんの平均年齢は30代

加工場接合部 ビスと木栓の納まり

加工場接合部 ビスと木栓の納まり

地域の木を使って木の魅力を伝えたい

―木造の魅力をどのように伝えたら良いと思いますか?
無垢材か集成材[1]かという議論がありますが材料についてのお考えを聞かせてください。

 
三澤:
集成材も無垢だと思っているんですよ。だって木なんだから。集成材か製材品と言っています。利用するためには集成材も選択肢にあって、それがダメだと思わないんです。
なぜ使っていないかというと高いからなんです。製材品だったら10万円/㎥で製材品は良いのがとれるのに集成材だとスギで12万円~15万円、ヒノキだと20万円くらいだといいますよね。
集成材は高いから使わないんです。毛嫌いしているわけではないです。
みんな集成材の方が製材品より安いと思ってるんですよ。それは全然違うんですよ。
ホワイトウッドの集成材を買ってきて安いっていうのあるかもしれないんですけれども、私は国産のものを使うので集成材の方が高いですよ。

もともと日本の山のことを考えれば国産を使うのが良いだろうというところから木造を始めています。集成材でも良いけれど、価格が高いから(国が集成材の工場に)補助金を出したんだと思うんですよね。

私も工務店さんが使ってほしいというので集成材で家を建てたことはありますよ。
見るとやっぱり(接着面が見えて)集成材だな、と思いましたけれどもできてしまったら忘れてしまいます。全然わからないです。
接着面は柄に見えていて、できてしまうと他の所に目がやるからそれほど集成材だといって特段注目しません。集成材のモデルハウスを見たお客さんから設計の仕事が来たとしても、そのお客さんはその集成材と製材の違いなんて何も気にしてないですよ。
だからあえて集成材を区別して目くじらを立てなくていいと思います。
ただ集成材は材料価格が高いし、各県に工場があるわけじゃなくて、どこか工場のあるところから持ってきたりするので地域でつくるという意味では疑問が残る。
また大工さんが太刀打ちできない金物を使ったシステム構法が出てきますよね、集成材は。
どこからか持ってきた集成材で金物のシステム構法で大きな公共建築をつくるという場合はすごく多いですよね。
だから私たちは製材品で設計するんです、困っていることを助けるのが私の主義なんですよ。
集成材が高くて売れないと言って困っているという方のは使ったことがありますよ。遠いと見えないからといってね。
製材に拘る方の中には接着面が2面だったらいいけど4面だったら嫌だとか言うんですよね。
それって身内でダメって言い合って足を引っ張るようなことで良くありませんよね。意味がありませんよね。
金物はだめだ、全部木で締める、とか宗教みたいな原理主義な人もいますよね。
木造施設協議会はあれはダメって言わないで極端な主張がなくていいんじゃないと受け入れる方がいいですよね。

日本の木を使って地域で木造施設もやってもらいたいという気持ちはあります。腰原さん[2]は10階建てで木造もできるんだぞという可能性を言っている人なんです。
それを国産じゃないとダメだと言うと検証できなくなってしまいますので、「今は国産だけだという時じゃない、いろんなことができると分かった段階で国産材がついてくるか」というスタンスでいらっしゃるんです。
稲山さんはまた違う主張で、地域の材料で地域の色に入るというスタンスなんです。
腰原さんとはよく話すけれども自分の設計で一緒に仕事をすることはないかもしれません。
ただ本やパネルディスカッションをご一緒することもあるかもしれません。私はきるだけ地域材で地域の職人さんで地域にお金が落ちるようにしたいと思うんですよね。
お金が商社や外国に行っちゃったっていう感じじゃないようにしたいんです。
フォルクスCの開発は近山運動と言って地域の木を使うことが始まりなんですよね。
やっぱり地元の木を使うということを基本にして欲しいなと思いますが、やりかたはいろいろあっていいと思います。


北澤:
集成材ははずさないで良いと僕も思っていて、どうしても集成材じゃないと(強度的に)スパンがとばないというところもありますし、木目調のシートで包まれているのはまずいかもしれませんけどね。
一般の人に木の良さを伝えていくのは難しいといわれるけれどもやっぱりそう思いますねー。
やっぱり空間を体験してもらうことしかないと思いますよね。


三澤:
住宅は訪ねた人だけが体験している。施設は多くの人が行き来しやすいですよね。
家だと、外部の人が見せてくださいと言う事はできないじゃないですか。
施設だったら幼稚園や保育園だとかは園児の保護者はずっと行きますよね。空間を伝える効果は高いですよね。
私は母校の木造の小学校の記憶があります。家は町家だったんですけれども、原風景になっているという感覚があるんですよね。自分が好きなものは何なんだろうと突き詰めていくと、過去の記憶の中にあるものが、やっぱり自分が1番好きなんだろうなと見えてくるんです。
RCの建物が多くなっているでしょう。
子供たちの原風景となる保育園も小学校もどうなんだろうと思うんです。
難しいな思いますけれども保育園を木造でつくっていたら、彼らの原風景がそれになる可能性が強いじゃないですか。それが施設の力なんですよね。
補助金というのは木造の良さをみんなに見てもらいたいという意図なんですよね。
だから補助金対象になった場合はちゃんとその意図に応えなきゃいけないんです。施設として使っているだけじゃなくて、外部の人もみんなに見てもらえるようにしなくちゃいけないんです。


北澤:
(木造の良さを)数字ではうまく表せないですしね。
見てみたい、行ってみたいと思うようなきっかけを作るとための媒体をつくる事と同時に実際触れて五感で体験してもらうことしかないですよね。

加工場内観

加工場内観

風景になる建築

―地域でこの加工場はどのような存在になっていると思われますか?また敷地を読んでどう配置するに至ったか聞かせてください。
 

北澤:
近所の公民館でイベントがある時は何百人も集まることがあるんですよ。
公民館との位置関係は地元では結構大事なので、北側に開いたらいいのか南側に開いたらいいのか悩むところがあったんです。
(会社の場所も)公民館の隣というのがこの辺の人たちには分かりやすいんです。
夜になって会合があって人が集まるときに電気がついておると、北側のシルエットが行燈のようになるんです。建物というのはそうなっているだけで風景になっているっていうふうに今でも感じています。利用してもらうわけではないんだけれども、隣に人気のあるこういう建物があるだけで、風景に溶け込んでいて無意識のうちに風景として植え付けているところがあると思います。
夜はきれいだねと言われます。秋の駅伝の季節等は小学生が練習でぐるぐるぐるぐる夜まわりを走るんです。その時には電気をつけておいてあげているんですが、送り迎えのお母さんたちが何コレと言うふうに見ていかれますよね。ただあるだけでなくて建物が地元の風景になっていくっていうのがやっぱり大事だなぁと思います。
地域の工務店の建物が風景になっていて、地元の人にとっても(工務店の存在が)風景みたいな、そんな会社になれば良いなぁと思いますよね。
そうなるためには建物の意匠、やっぱりファサードって大事なんだろうなと思います。


三澤:
北澤さんが今とは逆の公民館側に開いたほうがいいとおっしゃって、スケッチを描いて持ってこられたように思うんです。私は最初、敷地を見ていなかったので別の形でした。
この土地を見たときに、この土地特有の、つまり都会の敷地にはない独特の個性を感じました。
丘になっていてお墓があるわけなんですよね。いきなりお墓なんてないからね、都会には。
私は墓地はゾクゾクときて好きなんです。いい場所だなという土地のポテンシャルを感じるんです。
墓地があるのはラッキーみたいな気分。後から知ったことなんですが、墓地はその親族で持っている土地のうち、1番良いところにしますのでね。景色が良くて災害がないとかね。墓地がある風景っていうのは私にとっては良い風景で価値が高い、これは良いと言う感じだったんです。
背もたれに寄りかかっている時が人は1番気持ちいいでしょ。
この配置はそういう感じで墓地のある丘を背景に寄りかかっていて、安心感があって向かい入れる感じ、どうぞ来てくださいっていうようなおおらかな配置だと、このフィールドを見て思いましたよ。
西をむいているから集熱には適さないのだけれど、ここは地の神様がいて、こういう配置ですべきだろうと導かれているように感じました。

夫(三澤康彦さん)もここが好きでと「ここは良いところだ」って2,3千回言いましたよ。(三澤さんが設計した胡桃山荘で泊まって)朝起きてから5回か6回か10回ぐらい言ってるんですよ。
気が良い場所だと思ったんです。

それとは別に地域工務店さんの存在は、地域で困った時に頼りになる人達だと思っているんですよ。
基本的に何でもできるから、器用でね。崩れたら直したり、屋根を直したり何でもできる人達だと思うんですよね、すごく頼もしい!ここは敷地も広くて困った時に何でも使えるように感じます。
この加工場ができた後に東日本大震災がありました。まだできる直前の頃に夜景の写真を撮ったんです。その時はバタバタして皆が加工場の下でまだ作業してるような写真で、とても良い風景、良い写真だと思っているんですよ。

当時、加工場を題材に講演をしていたんですが、震災の後からその写真を見せては災害の時にすごく頼りになる存在だ、工務店の人達は異常時でも困った方々を助けたりできる頼もしい人達なんだと言っていました。


[1] 断面寸法の小さい木材(ラミナ)を接着して再構成される木質材料
[2] 腰原幹雄 東京大学生産技術研究所人間・社会系部門木質構造学

加工場と向かい側にある田んぼから

加工場と向かい側にある田んぼから

竣工直前の夜間作業風景(三澤氏提供)

竣工直前の夜間作業風景(三澤氏提供)

取材日:2017年10月11日 聞き手:藤村 真喜 撮影:伊藤 夕歩

木造施設協議会について