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ウッドショックから「価値」について考える
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ウッドショックから「価値」について考える

ウッドショックから「価値」について考える

話し手:木造施設協議会 事務局 藤村真喜

ウッドショックから「価値」について考える

 今、木材高騰「ウッドショック」が起きています。ここで木造施設協議会の会員から伺ったことをお伝えし、これから建築をつくられる一般の方々にも今、起きていることを知っていただきたく、僭越ながらこの記事を書かせていただきます。事務局の藤村真喜です。

ウッドショックとは何か

ご存じの方には言うまでもないのですが、まずウッドショックとは何でしょうか。
コロナ蔓延による海運業の混乱、都市部でのウィルス蔓延から中国、アメリカで郊外の戸建て需要が高まり、外国産材が日本に入りにくくなったことにより価格が高騰したというのが概要です。外国産材の高騰から、材料として多く使われていた集成材は確保が厳しくなり、集成材を大量に使っていた大手パワービルダーも国産材に切り替え始めたことも重なって国産材も影響を受け始めています。

長野県箕輪町の北沢建築の加工場。地域の木を自社で刻んでいる

長野県箕輪町の北沢建築の加工場。地域の木を自社で刻んでいる

建築事業者の話から見えてきたこと

一般の方はウッドショックによる建築費用の値上がりをご心配されていることと思います。この4月20日に開催した関西地域情報交換会では、ウッドショックの影響はどうか、各社報告し合い、建築業界の現状として見えたことは以下になります。

・平常時から山や材木業者と連携して地域材の供給体制をつくっていた、あるいは山から建設まで一気通貫の体制を整えていたところは影響が少ない
・国産材のうち安い材料から外国産材の代替としてなくなっている
・集成材は完全にない、合板やプラスターボードにまで影響がでている、または見通し
・不透明な状況に対して納期等に対する合意書をクライアントからとっている
・特殊材を使う設計は納期が読めないため、流通材での設計変更を依頼(工務店→設計)
 これらからわかることは、価格だけではなく普段から山⇔製材(材料にする)⇔設計、施工の信頼関係のもとに真摯に建築をつくってきたところは影響を受けにくい、また影響を受けたとしても事態をお客さんに説明をして粘り強く生き残ることができるでしょうし、クライアントは安心、ということです。

山から伐り出された木材

山から伐り出された木材

大工職人の減少と高齢化が顕著だったところにウッドショックが業界に大きな影響を与えつつある

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国産材を選ぶことの意味を考える

またこの記事を書きながら思い出したことがあります。木造施設協議会創設時からしばらくして、ある設計者からこのようなことを言われました。「価格でいうと安い外国産材の集成材を使って設計することになる。それだと仕上げを貼って木を見せないのでそもそも木造に拘る必要がない。中身の材料に関心がある人なんてそんなにいない。」と。木造は木を表す軸組計画をして設計をすると学んできた私としては合点しつつもショックでした。木造である意味を考えました。価格でいうと国産材の木造の住宅は勝てないのだろうとその時は思いましたし、自然や地域愛、マイナーな思想に基づくものと思われているのか、とどこかもやもやしたものを今日まで抱えていました。もちろん外国産材を一概に否定するつもりはありませんし、適材適所で、木造はあくまでひとつの選択肢だと考えています。それでも一般の方は中身の材料に関心がない、というのは本当か?伝えていないだけではないだろうか?と思いました。

木材がどんな山でどんなふうに育ち、伐採・乾燥・製材され、家の素材になっていくのかを子どもも大人も体験する、山と木の見学ツアーの様子(工務店主催)

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良質な国産材の提供のために、間伐から製材、流通まで多くの人が関わり、数十年先を見据えた植樹・育成が行われている地域

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丸太の「木取り」見本。日本の住宅では、まさに「適材適所」で木が使われてきた

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コロナ禍のいま、生活の中での「価値」の見直し

ここで、あなたにとっての「価値」を考えていただきたいのです。価値は絶対的な、自分にとって良いと感じたり、魅力的だと感じたりするものです。相対的な価格ではありません。長い目で見て本当に自分にとって価値あるものという意味です。
 例え話をさせてください。コロナ禍にあって、花や緑や器が一種のブームだそうです。2020年9月時点で都内全花き市場では観葉植物や鉢花の取り扱い金額が4カ月連続で前年を上回り、手間のかからない多肉植物の人気から手間のかかる植物が売れるようになった[i]そうです。同年5月に益子陶器市をECサイトにより開催したところ約55万アクセス、想定の4倍を売り上げた[ii]とのことでECサイトの成功ももちろんですが潜在的に、また時世による関心の高まりも無関係ではないでしょう。

[i] 日本経済新聞2020年11月14日記事
[ii] 日本経済新聞2020年8月10日記事

今、生活の中で花や緑があることの豊かさがあらためて見直されている

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瑞々しい植物や土や石、あたたかい器や道具があると心がほころぶ

瑞々しい植物や土や石、あたたかい器や道具があると心がほころぶ

器も緑も花も変化する、ある意味生き物で、プラスチック製の器や造花に比べると手間がかかり、面倒なものとも言えるかもしれません。それでも未曾有の事態から生活が変化し、人々がどんなものを使い、どんなものに囲まれて暮らすか、感じ、考えるようになったことで不変が楽→変化を楽しむに価値観が変わったという見方もできるでしょう。子供がいる家庭で、割れない、軽い、洗える、安い、価格や利便性だけを考えれば器は全部プラスチック製がよいということになります。しかし物は壊れることを知り、丁寧に扱い、物を大事にすることを学んでほしいという価値観があれば手で作られた陶器を子供の日常の器にするという考えもあるでしょう。小さな子供でも落として割れた時にはショックですし、次から気をつけた手つきをちゃんとします。ものが壊れたそのことによって子供の行動が変化した、これこそ学びの価値ではないでしょうか。

子どもたちの感性や感情を刺激するものを日常の中に

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家は手入れをしながら愛着を持って過ごせる場所でありたい

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ウッドショックを経て、価値観のパラダイムシフトへ

木材も生き物です。木材もどこかでだれかが植えて、育てて、伐採して、乾燥、製材して建築材料になります。需要が急に高まっても急に増産できるものではありません。その先に人が見える、経路が分かるものは支える産業が元気であればレジリエンスが高いということになります。山や林業が元気での地域木材です。
ものは人に働きかける力があります。建築も同様です。その中に入って生きるのですからもっと人への影響が大きいと私は思います。
 私たちは社会にとってマイナスな大きな出来事があるたびに価値観を見直し、選択してきました。今回のウッドショックを一過性の価格変動で終わらせず、これをきっかけに建築をつくる方々が長い目でみて山から建築まで本当に何を選択するのか、価値観のパラダイムシフトが起きることを切に願います。

家族が安心して住み続けられる木の家をつくる。ウッドショックをきっかけに考え、行動していくことが大切だ(写真はソーラータウン府中の木造ドミノ住宅|設計:野沢正光建築工房 施工:相羽建設)

家族が安心して住み続けられる木の家をつくる。ウッドショックをきっかけに考え、行動していくことが大切だ(写真はソーラータウン府中の木造ドミノ住宅|設計:野沢正光建築工房 施工:相羽建設)

文 章:木造施設協議会事務局 藤村真喜
写 真:木造施設協議会事務局
(一部はイメージ写真)

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